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「安心」は「信頼」を生まないということを学んだ

少しややこしいタイトルですがそのままです。
「信頼」について、考えることがありましたので
今日はこちらをテーマに書いてみようと思います。

「信頼とはどういうことか?」一撃で解決してくれた本がありました。
北海道大の名誉教授だった、社会心理学者の山岸俊男氏の「安心社会から信頼社会へ」と
いう本です。

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書) | 山岸 俊男 |本 | 通販 | Amazon

山岸氏は、「信頼」の定義をこのように表現しています。

「信頼」:相手が裏切るかどうかわからない状況の中で、相手の人間性のゆえに、相手が
自分を裏切らないだろうと考えること。

一方、安心の定義は次のようなものになります。

「安心」:相手が裏切るかどうかわからない状況の中で、相手の損得勘定のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えること。

面白いことに、山岸氏は「信頼」と対になる概念として「安心」を掲げています。
ちょっとわかりくいので、噛み砕いてみます。信頼は不確実性を大きく残したまま、人に期待を持たなければならない。ですが、安心は、システムやルール、約束事などによって、「相手が裏切る」という不確実性を大きく減らしているといえます。

どうでしょうか?理解はできたでしょうか。

例えば、成果を出さないとクビになるというルールは社長が社員に持つのは「信頼」ではなく「安心」だと考えます。
この本を読んでいて、示唆に富んていると感じたのは、信頼をベースにした人間関係と安心をベースとした人間関係を整理している点です。

ここを私は大きくはき違えていました。勉強不足を痛感しています。
猛省すると共に腹落ちしました。つまり、「安心」は直接人を信じなくとも仕組みによって機能し、逆に「信頼」とは文字通り「人間を信じている」からこそ、成り立つということです 。

更に、山岸氏は重要な示唆をしています。
それは「安心」に依存していると、「信頼」する能力が育たなくなるという事実です。
実際、山岸氏の実験では、特定の相手との「安心」に基づく関係を形成すると、関係外部の人間に対する信頼感はむしろ低下することが示されており、ますます閉鎖的になる、ということが示されています。

実際、山岸氏が、この「安心」をベースにした人間関係を重視する人々が持つ傾向を、実験によって明らかにしたところ、次のような人々であることがわかりました。
・仲間以外は信用しない(「人を見たら泥棒と思え」に賛同する)
・仲間内で、誰が誰を好いている、嫌っている、という情報に敏感
・周りの人が自分をどう思っているのか気になる
・他人との付き合いは、自分も傷つきたくないし、他人も傷つけたくない
・孤独感が強い
・感情を顔に出さない
山岸氏はこれを「社会的びくびく感」と名付けています。

「安心」はリスク回避のひとつの手段です。悪いとはちっとも思いません。しかし、今回、デメリットがあることを知りました。

やりすぎると「信頼」する力を無くしてしまうということです

これまで、信頼できないのは「何かトラウマがある」「裏切られたから」「デメリットがあった」という原因に帰結していました。今回それだけではないことを学びました

「安心」は「信頼」する経験を阻害して機会損失しているのです。

多くの企業や経営者たちに悪い人はいないです。正確にいうと安心の人間関係に
浸かりすぎて、「信頼」する力を失っているのかもしれないとも言えます。
しかし、時代は変わりつつあります。今まさに、安心から信頼へ変化していると思うのです。

つまりどういうことでしょうか?
このコロナ禍によって、自宅待機、テレワークなど離れて仕事をすることが当たり前になりました。

ここで経営者はメチャクチャ試されると思うのです。

社員に対して「安心」だったのか?「信頼」だったのか?

信頼できない経営者は恐らく取り残されていくのだと思います。
何故ならば、社員が重たい仕組みに縛られ、生産性が下がり、嫌気がさしていくからです。

皆さんも「安心」に浸からず、「信頼」にぜひチャレンジしてください。

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