価値観のズレを、対立ではなく設計に変えるということ
組織で起きる混乱の多くは、技術やスキルの不足ではなく、
価値観のズレによって生じている。
「やりがいを重視する人」と「給与を重視する人」
「チームで進めたい人」と「自分の裁量を守りたい人」
「標準化を望むマネジメント層」と「職人技に誇りを持つ現場」
こうした違いは、議論の形をとって表面化するより前に、
日常の判断や態度、沈黙の中に現れている。
そのズレは、必ずしも誰かが悪いわけではない。
ただ、出発点が違うだけである。
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価値観とは、その人の過去の経験と環境の中で自然に形成された「前提」であり、
論理で説得できるような種類のものではない。
だからこそ、ズレは話し合いで解決するよりも、構造の設計によって整えるしかない。
たとえば「金か、やりがいか」という対立は、しばしば感情論に発展する。
だが、ここで求められるのは、対話の深度ではなく、枠組みの再構築である。
金とやりがいを対立項として扱うのではなく、
「社会に貢献する仕事を通じて、成果に応じた対価を得る」という構造を設計すれば、
両者は補完し合う関係に変わる。
その意味で、経営の仕事とは「矛盾を設計する力」と言い換えてもよい。
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価値観のズレは、規模が小さいうちはリーダーの強い意志で一方に寄せることで乗り切れる。
だが、組織がある規模を超えると、多様な前提を抱えた人材が集まるようになる。
このとき、「どちらが正しいか」という問いの立て方自体が、経営にとって不適切になる。
むしろ、「異なる価値観が共存するための第三の設計」をどう示すかが問われる。
たとえば、
・「親密か、ドライか」の対立には、業務上の信頼関係は重視するが、私生活には介入しない設計
・「成果か、プロセスか」には、短期成果には報酬で報い、プロセスの誠実さには成長機会で応える設計
・「職人か、標準化か」には、個の技術を記述可能な形式で抽出し、再現性へと橋渡しする設計
これらはすべて、感情や思想の問題ではない。
経営の設計思想の問題である。
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経営とは、本来、矛盾を引き受ける仕事である。
「スピードと納得」
「個人の尊重と組織の一体感」
「挑戦と安定」
「現場と戦略」
どちらか一方を選ぶのではなく、
両方が並び立つように設計し、運用する力が求められる。
それは論理の整合性ではなく、矛盾を引き受ける胆力と構想力である。
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社内で繰り返される衝突に対して、
「うちの社員は何もわかっていない」と嘆く前に、問い直してほしい。
経営として、対立を設計で整える努力をしているか?
「矛盾を構造化する」視点を持っているか?
経営陣の中で、それが共有されているか?
価値観のズレは、個人の問題ではない。
構造が設計されていないことの結果である。
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経営とは、選び取ることではなく、矛盾を整理し、つないでいく技術である。
答えを出すことよりも、問いを構造に変えること。
その仕事を担うのが、経営者という立場の重みだと私は思う。
組織の中にある無数の矛盾を、「未解決の問題」として放置するのではなく、
「共存の設計」に変えること。
それが、経営という営みに求められている、本質的な力である。