コラム 後継者の本音 2026.02.24 後継者の本音 最近、「後継者育成」についてのご相談を多くいただく。 事業承継、二代目、三代目、外部からの後継者。 今日は、その立場にいる人の“本音”について書いてみたい。 解決策ではない。 きれいな成功談でもない。 少し、えぐる話になる。 * 後継者とは、不思議な立場だ。 まだ完全な責任者ではない。 だが、すでに自由でもない。 先代は健在。 だが、いつかは自分の番が来る。 逃げ道は、残っているようで、 もうほとんど残っていない。 * 多くの人は、後継者をこう見る。 「恵まれている」 「最初からポジションがある」 「いずれ社長になる人」 だが、後継者本人の内側は、 それほど単純ではない。 本音を言えば―― 自分の実力でここにいるのか、 まだ分からない。 評価されているのか、 気を遣われているのか、 区別がつかない。 叱られても、 本気なのか遠慮なのか分からない。 褒められても、 本心なのか忖度なのか分からない。 これが、後継者の孤独だ。 * さらに厄介なのは、「比較」である。 常に、先代と比べられる。 「あのお父さんは豪快だった」 「先代は決断が早かった」 「昔は良かった」 まだ何もしていないのに、 すでに減点方式が始まっている。 だから本音は、こうだ。 本当は、 自分のやり方でやってみたい。 でも、 壊したくない。 変えたい。 だが、否定したくはない。 守りたい。 だが、このままではいけないとも思っている。 この矛盾を、 毎日抱えている。 * そしてもう一つ。 後継者は、 まだ“最終責任者”ではない。 だが、 既に“責任の予備軍”である。 判断を任される。 だが最後は先代がいる。 口を出される。 だが口を出されなくなると、それはそれで怖い。 本音を言えば―― 本当に任せてほしい。 だが、 本当に任されたら、 まだ怖い。 この揺れの中で、 後継者は育つ。 * 後継者の本音とは、 強がりでも、 覚悟でもない。 「自分は本当にこの立場に値するのか」 という問いを、 何度も何度も繰り返している状態のことだ。 自信がないのではない。 覚悟がないのでもない。 ただ、 まだ証明しきれていない。 その途中にいる。 * やがて、 ある日、完全に引き受ける日が来る。 そのとき、 逃げ道はなくなる。 だがそれまでは、 揺れていい。 迷っていい。 比較されて、 傷ついてもいい。 本音を言えば、 怖くて当然だ。 それでも、 逃げずにその席に座り続けること。 それが、 後継者の現実だ。 そして―― その席に座り続けている人は、 もう十分、覚悟の途中にいる。 私は、そう思う。 Tweet Share Hatena Pocket RSS feedly Pin it 投稿者: adminコラムコメント: 0 やっているフリだけでは通用しない