▶目標設定時に問題になる2つのパターン
目標設定を数多く見てきました。この目標設定は多くの会社が人事評価と連動しています。そのため、ある程度、部門間や個人間での公平性の擦り合わせが必要になります。擦り合わせ時に問題になるのが、以下の2つパターンです。
①「どう見ても達成できないでしょ?」と思うような高い目標を設定する人
②「いや、何もしなくて達成できそうだよね?」と思うような低く目標を設定する人
①のパターンは、上司として「部下が深く考えていない」と思ってしまいます。
もしくは「気持ちは嬉しいが現実的ではない」とつき返すように思います。
しかし、心の中でやる気があるなぁと思ってしまうのです。
②のパターンは上司としてはやる気が無いと判断します。
そして、「チャレンジするのが大事ですよ」と言って目標設定を再考させます。
▶達成目標理論について
キャロル・ドゥエック教授が提唱している理論で「達成目標理論」という動機づけの理論があります。これは目標が動機づけやパフォーマンスの違いに影響するという理論です。
達成目標理論とは、1980年代はじめに台頭し、顕在に至るまで研究され続けている理論であり、この理論では、人は有能であることを求める存在だと規定しています。
その有能さを求めるために人は達成目標を設定し、達成目標の内容や基準により、行動や感情が変化すると主張しています。
この理論で一番の学びを簡単に言ってしまうと知能観の違いによって努力に対する信念が
違うと言われています。
さて、どういうことでしょうか?
例えば、努力の量によって、有能さを判断するとなった場合にどちらが有能だと
判断するでしょうか?
A:たくさんの努力をして能力を高めたほうが有能であるとするパターン。(増大理論)
B:少しの努力で能力を高めたほうが有能であるとするパターン。(固定理論)
これが先に述べた「知能観」です。皆さんは、どちらの知能観を持っていますでしょうか?
私自身、学生時代こう思っていました。
「勉強していない」と言ってテストの点数が高い人は、「天才」だと思っていました。
逆にたくさん勉強している人を頭が悪い人だと思っていました。
私の学生時代はBの固定理論に該当しています。
親からは努力すること、勉強することを耳にタコができるぐらい聞かされていましたし、
努力することが重要であることも十分理解していました。
しかし、私の知能観は努力しないで成果を出すほうが有能であると思っていました。
こんな知能観を持っていると、努力はダサいから、努力しないで成果が上がるものを探すか、成果が出せないと思ったら、全く努力をせずにそのもの自体に向き合わないという行動になるのではないか?と思っています。
自社でもこのような若手社員はいませんか?
これに共感できる人は、目標に対してこう考えるのではないか?と思っています。
目標は「なるべく努力を見せずに達成できるもの」にしたいという考えです。
ここまで極端な人はいないかもしれないですね。
しかし、少なからず固定理論の人は一生懸命努力をして目標が達成できないと
「無能さをさらけ出してしまう」と思うのです。
目標を確実に達成できる基準でしか設定はしないと思います。
少し理論を掘り下げて、まとめるとこうです。
シンプルに考えると
目標を高くする人は”増大理論” 目標を低くする人は”固定理論”に
分かれるということです。
これを知って、私が感じたのは、増大理論の人は、目標は単なるチャレンジをするためのきっかけであり、目標を達成するのが目的ではないということです。
つまり、売上目標が1億・5億・10億だろうが関係なくチャレンジをできればいいと
いう発想です。よって、目標はどうしても高めに設定して、たくさんの努力を
しようとします。
私がお会いしてきた、経営者はこの増大理論の人が多いです。
一方で、固定理論の人は、目標は「自分の無能さを図られる道具」だと認識していて
目標を達成することが目的であり、そこに成長だの、何だのと言われても関係が無いということ。
これをチャレンジ精神が無いと一蹴する人がいますが、そんな簡単なものでもないと思うのです。
根本的に努力に対する信念が違うというのが、根深い問題だと思います。
これを知らずに目標設定をすると、チャレンジ精神ややる気と言った精神論に
終始してしまいます。
これからは目標設定時には、相手の知能観をベースに目標設定をしてみては
いかがでしょうか。