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組織の成長に必要なのは“優秀な人”を採用することではない! 

仕事の能力が、社会的な地位をあらわす現代 

お客様の会社でこんな社員がいました。
「あなたは、ほんとに何の役にも立たないな。」と
会議で怒鳴られていました。

もちろんその人は必ずしも、
一生懸命やっていなかったわけではないのですが、
ただ、すべての仕事が的外れで、ずさんでした。

あまりに同じミスを繰り返し、
単純なことも遂行できないことから、
上司はたまりかねて、「もう、何もしなくていいから、勉強でもしててくれ。」と、
仕事を一切割り当てなくなってしまいました。

ただ、「雇った以上は」ということで、クビにはしませんでした。

そんな処遇に対して、その人がどう思ったのかは、表面的にはよく分かりませんでした。

結果、その人は入社半年で、自主的に退職をしました。
辞める時のその人の言葉は、「ステップアップしたいので・・・」でした。

もちろん、中には「所詮は仕事」とか、「仕事なんて頑張らなくていいよ」と
いう人も多数いるかもしれません。

別に間違ってはいないと思いますし、人それぞれの価値観です。
しかし、仕事の位置づけがその人の中で低かったとしても、
職場で蔑視され、あるいは関心を持たれないのは、多くの人にとって
耐え難い苦痛だと考えます。

人格や、本来の人間の価値とは、何の関係もない。
しかし「仕事の能力が、社会的な地位をあらわす」現代においては、
人格否定にも等しい衝撃があります。
そして、これは大きな社会的問題をはらんでいると思います。

▶実力も運のうち 能力主義は正義か?

多くの仕事が高度になり、かつルーティンワークが機会に代替されれば、
必然的に「無能」とされる人々が増えてしまうからです。

ハーバード大の教授、マイケル・サンデルが「実力も運のうち 能力主義は正義か?」
いう著作で、それを取り上げています。

マイケル・サンデルの、本著作における主張の核心は、

「能力主義はよく機能してきた。だが現在、能力主義による統治は、
勝者におごりと不安をもたらし、敗者には強い屈辱と怒りをもたらす。
これをどう思うか。」

 という、素朴な投げかけでした。

サンデルは言う、「能力主義の敗者は、貴族主義の下層階級より惨めだ」と

なぜなら、能力主義のレトリックでは、自分の惨めさを、
ほかの何の責任にもできないからです。
したがって「能力主義」は、どのような切り口であっても
敗者を侮辱し、怒りを煽ることになります。

お前は無能だ、お前のやる仕事はない、お前の頭は悪い、と
世の中から言われ続ける屈辱は、冒頭のある社員の逸話に通じると思います。

一昔前はどうにもならない、自分でコントロールできない階層や学歴によって構成されていました。
ただ、歴史はどうにもならない場所が階層や学歴ではなく能力へと移っていきました。
これは先人の努力にほかならないと思います。

現代において、能力主義を否定する人はいないと思います。
しかし、一方でこの能力主義で敗れた人たちがもたれる場所はあるのでしょうか?

私は「あなたは、ほんとに何の役にも立たないな。」と言われている人を思い起こしました。
おそらく彼は、次の会社でも、同じようなみじめさを味わう可能性が高い。
転職を繰り返して、行き詰まり、ついには働けなくなってしまうかもしれない。

そのような人を大量に生み出し続ける能力主義に、道義的責任はないのか、と言われたら、それは「ある」としか言えないように思います。

ではどうすべきでしょうか。
個人的には企業のマネジメントに、その打開策があると信じています。

なぜなら、ピーター・ドラッカーが指摘するように、
仕事で成果を上げることは、人の尊厳を保つ役割があるからです。
であれば、「無能」とされる人々に、活躍できる場を提供することを、
企業の責務とせねばならないと。

組織をスケールする時に組織の能力が低ければ低いほど、無能は増える

だから無能をなくすためには会社は彼らをうまく使いこなして、
個人の特性に合った仕事を与え、活躍させるようにマネジメントするべきだと思います。

組織をスケールさせるためには、優秀なやつを入れるのではない。
無能をゼロにすること。

企業の「人を用いる能力の強化」こそ、無能を撲滅する強いパワーであると思います。

これが「企業に必要なチカラ」だと学びました。

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