目次
1.それは実力ではなく、「偶然の席」だった
2.もらいすぎた瞬間から、態度が問われる
3.リーダーの“慣れ”が組織を腐らせる
4.誰にも叱られない人こそ、自分を疑え
5.経営者の問いは、誰にも聞こえない場所で立ち上がる
1. それは実力ではなく、「偶然の席」だった
「お前、自分の給料に見合った人間か?」
若くして昇進したとき、先輩にそう問われた。
私は言葉を失った。
なぜなら、図星だったからだ。
「給料は実力じゃない。
希少性とタイミング。
その“席”がたまたま空いていただけだ。」
努力したつもりだった。
実力で評価されたと思っていた。
だが、あれは“たまたま”だった。
そして私は、それを“当然の報酬”と錯覚していた。
2. もらいすぎた瞬間から、態度が問われる
評価されたとき、人は無意識に「自分の力だ」と思い始める。
それが傲慢の入り口になる。
「給料が実力を超えたとき、
その人の“器”が試される。」
そう言った先輩の言葉が、いまも忘れられない。
役職が上がるというのは、責任が増えるというより、
“態度の試練”が始まるということだ。
振る舞い、所作、言葉遣い。
見られる立場になった自覚がなければ、組織の緩みはそこから始まる。
3. リーダーの“慣れ”が組織を腐らせる
「この立場には、まだ自分は見合っていない」
その感覚を持ち続けることが、リーダーには必要だ。
自分の給料や役割に対して、ほんの少しでも違和感があるなら、
それを打ち消すのではなく、「問い」として持ち続ける。
人は、自分を律する問いを手放した瞬間から、腐っていく。
そして最も怖いのは、その“腐敗”が表に出るのが遅いことだ。
周囲は気づかない。本人だけが気づける。
4. 誰にも叱られない人こそ、自分を疑え
経営者になれば、叱られない。
黙っていても褒められる。
疲れていても、それを理由にしてもいい空気がある。
忙しさ、責任、孤独。
すべてが「やらない理由」にすり替わる。
だからこそ、自分だけが自分の番人になるしかない。
問いを手放した瞬間から、社長の「姿勢」が会社全体のゆるみになる。
5. 経営者の問いは、誰にも聞こえない場所で立ち上がる
私は今でも、「自分はこの報酬に値しているか?」と問うようにしている。
問いは派手ではない。誰かに見せるものでもない。
だが、それを手放したとき、経営者としての“終わり”が始まる。
夜明け前、まだ外が暗いうちに机に向かう。
その時間に浮かぶ問いが、私の背筋を伸ばしてくれる。
誰にも見られないところで、
誰にも叱られないからこそ、
経営者は、自分を律する力を持たなければならない。
終わりに
報酬とは、上げれば終わりではない。
むしろ、“上げた後の態度”にすべてが表れる。
経営者は、社員に見えないところでこそ、死ぬほど働け。
誰かに見せるためではない。
自分を律するために。
それが、自分の組織に対する最低限の責任であり、
自分を腐らせない、唯一の「免疫」なのだから。
このnoteは、単なる美談でも、反省文でもありません。
「役割に追いつく努力」が問われる時代において、
自分を律する問いを持ち続ける人のための一篇です。